中部デザイン協会 デザインの仕事場におじゃまします

第1回 豊田市美術館館長  寺 光彦 氏



 デザイン業界で幅広く活躍されている方々の仕事場を訪れて、その方の仕事や人となりをレポートする『おじゃまします』。第1回目は、当協会の理事長として協会運営にご尽力頂いている寺光彦豊田市美術館館長です。

プロダクトデザインの市場性の重要さや、地場産業のデザインを指導

館長に就任される前は名古屋造形芸術大学・名古屋造形芸術短期大学の学長であり、ちょっとデザインの現場から離れているように思われますが、それ以前はプロダクトデザイナーとして活躍されていました。

寺氏は1929年、焼物を家業とする家に生まれました。金沢美大在学中に工芸品を手がけて、当時、美術・工芸家の登竜門だった日展に入選。大喜びのはずが、若き寺氏の頭を占めていたのは「生活と美術の接点」「生活(リビング)デザイン」へのこだわりでした。戦後の物不足の中で、生活を豊かにする食器のデザインをすることを夢見ていたのです。

その夢の実現を目指し1953年来名、三郷陶器に入社。当時は、ようやくデザインの大切さが認識されはじめた頃で、世界のデザインレベルを修得することが求められていました。そんな折、1955年から始まった第1回ジェトロ海外派遣意匠改善研究員として米国アートセンターカレッジに2年間留学し、市場性を重視したデザインをするプロセスを学んで帰国。その後2年間は、仕事の傍ら留学の成果を各所のデザイン講習会で披露すると共に、地場産業のデザイン指導事業にも努めました。そして15年勤めた会社を辞めてフリーとなったのですが、その間に寺氏が世に送り出したデザインは多数。一例として、カップ&ソーサー、壁面タイルのカラーコディネート等があります。

デザインの社会的重要性を謳った第一人者

フリーになってからは、デザイナーとしての立場と観点を生かし、名古屋市の街づくりや豊田市の街づくりの提言のとりまとめに関わるなど、デザインの社会的重要性を考える先鞭となる仕事を手がけました。そうしたことが縁で豊田市美術館の構想づくりに携わるようになり、5年、開館と同時に館長に就任されたというわけです。

デザイナーから館長への転身ですが、そこには寺氏の活躍と業績が裏付けされているのです。というのも豊田美術館は、日本に数ある美術館の中でもデザインを積極的に取り入れた企画展を重視することで注目を集めているユニークな存在なのです。それだけに館長としての仕事も、企画を立てることと作品の収集が仕事の中心となり、デザイナー寺氏ならではの手腕が発揮されています。

収蔵品の中でもペーターベーレンス、マッキントシュに関しては国内で最も充実した収蔵内容を誇っています。企画展では、そうした収蔵品を核として足りない作品を他の美術館から借りて総合的な展示内容を心がけており、3年くらい前から準備に入ります。収蔵品を核とした代表的な企画展として「ホフマンとウィーン工房展」があります。

豊田市美術館は豊田駅から徒歩15分。産業文化都市豊田市ならでは、美術館自体のデザインやフォルム、庭園の美しさも見事です。ユニークな企画展とともに、一見の価値は充分にあります。

人の手の跡が感じられるデザインを

デザインに携わって約半世紀。デザインの流れをつぶさに見てこられた寺氏が若い人へのエールとしておっしゃったのが「人の手の跡が感じられるデザイン」。あらゆる物が大衆化、標準化し、効率主義の中で物事が左右されていく状況の中、人々が見失ってきたものでもあります。

71歳を迎えた今年から館長職を常勤から非常勤に変え、少し身軽になったのを機に寺氏自身、再び挑戦しようと思われているテーマでもあるそうです。

美術館に関する地図・催し物については、http://www.museum.toyota.aichi.jpをご覧ください。


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